風の代償

 

 北海道旅行3日目、ニセコにて。緑や黄緑のパッチワークの景色が一面に広がる中を、私はパラグライダーのお店を目指して車を走らせていた。その雄大な風景は都会の喧噪を忘れさせてくれる。天気もまずまずで、空には少しの雲がある程度だった。

 指定時刻の朝9:00ちょうどにお店に到着。そこは赤煉瓦の小さなおうちといった感じのたたずまいだった。

 中に入ると、早速お店の人が出迎えてくれた。一人は、もうちょいで還暦といったお年頃で、人なつっこい笑顔の白髪のおじさん。もう一人は30代前半ぐらいで、背が高く髪ボサボサのちょっと無骨そうなお兄さんだ。私は心の中で、おじさんに「ムツゴロウ」さん、お兄さんに「フランケン」さんというコードネームを付けた。

 裏側の庭で、飛行中の姿勢の取り方と着地方法について説明を受ける。今回私が申し込んだのはインストラクターと一緒に1000mほどの高さから飛行するコースなのだが、ここで少し残念なことが判明。私のイメージでは、両手を広げて鳥のようにさっそうと空を飛ぶ姿を想像していたのだが、どうやら実際にはブランコに座って、空中を輸送されるような感じになるらしい・・・。しかし、その代わりにというべきか、カメラを持っていって飛行中に写真を撮ることができるという。まさかそんなことができるとは思ってなかったので、これはうれしかった。

 お店の車でアンヌプリ山の麓まで移動し、そこからゴンドラで離陸点まで上る。ゴンドラの中で、改めてインストラクターの方と自己紹介。私の担当は「ムツゴロウ」さんに決まった。

 「普段運動はされてますか」と聞かれ、私が「いえ、してないです」と答えると、「ムツゴロウ」さんは「今日はちょっと走ってもらいますよ」とにこやかに言った。私はちょっとビビって「どれぐらい走ればいいんですか」と聞いたら、「ムツゴロウ」さんは「10m〜15mぐらいかな」。なんじゃそら! そんなもん毎朝天下茶屋の乗り換えで走っとるわい!! と、大阪仕込みのツッコミを後頭部に入れてやろうかと思ったが、初対面の北海道の人にそれをするのは酷なのでやめた。

 ほどなく、ゴンドラは終点に到着。アンヌプリ山はスキーシーズンに向けて草刈りが始まったばかりらしい。スキーコースとしては明らかに上級者コースであろう傾斜のきつい斜面で、「ムツゴロウ」さんはパラグライダーの準備を始めた。私はその準備が終わるまでしばし待機する。

 約10分後、パラグライダーの準備が完了。私はパラグライダーの前方に立つように言われ、そこで体をつないでもらった(でも、実際どこをどうされているのかはよく分からなかった)。「ムツゴロウ」さんも私の後方で同じく体をつないだ。そして彼は言った。「1、2、3の合図とともに、あの鉄塔の方に走ってください。途中引っ張られても気にせずその方向に走ってくださいね。じゃあいきますよー、1、2・・・」 え?これ本番? ちょっと急な展開に一瞬「3と言ったら走ってくださいねネタ」の可能性を疑ったが・・・。

 「3!」 の合図と共に、私は全速力で走った。後ろでも「ムツゴロウ」さんが走っているようで、私の判断は正しかったようだ。しかし、私が全速力で走ったのは最初の5歩くらいだけだった。あとは上だか横だかに引っ張られて、地面をうまく蹴ることができない。なおも必死でもがいていると、なんと右の靴がぬげてしまった。ああっちょっとタンマ!! と思ったその瞬間、体が浮き上がり、足は地面を離れていた・・・・・。

 見る見る間に地面は遠くなっていく。しかしそんな私の混乱はおかまいなしに、「ムツゴロウ」さんは「はい深く座ってください」と言い放った。私が靴が脱げたことを告げると、どうやら「ムツゴロウ」さんは気づいていなかった様子だった。上空の冷たい風が靴下を通して右足に伝わってくる・・・。ともかくもう今はいすに座ることしかできないので、妙にスースーする右足のことは忘れて気分を入れ替えることにした。

 さすがに前から吹いて来る風は強いが、いすが揺れたりすることはほとんどなく安定している。いまいち風を切る感覚にかけるのが残念だが、360度に広がっている景色は素晴らしい。足下を見るとそこは一面の森であり、人間が走るぐらいの速さで動いているように見えた。

写真1 離陸直後の風景

 私は腰のポケットからデジカメを取り出したが、寒さで手がかじかんでいたのでかなりの慎重を要した。ストラップを腕にひっかけて、とりあえず写真と動画をとる。

 パラグライダーは、離陸後最初の約5分間は山の上の同じ場所をゆっくり旋回するコースをとり、その後市街地に向かって徐々に進み始めた。

 やがて森を抜け、道路を走る車が真下に見えるようになった。前方では、私より後に飛び立ったもう1組のパラグライダーが先に着地する様子が見て取れた。私は最後に着地寸前の様子を撮影した後、デジカメをポケットにしまった。ぐんぐんと高度を下げ、もう飛び降りても大丈夫やなというぐらいまで来たころ「足を前に出してください」の指示が。私は最初に受けた説明どおり、足を前に伸ばして、いすをクッションがわりにして尻餅をつくように着地。クッションは私の期待より堅く、着地のときはベットから転げ落ちるぐらいの衝撃があったが、ともかく、無事地上に戻ってこれたのだ。

写真2 足下に見える車

写真3 最後の1枚である、着地地点の写真。先に着地した1組が見えている

 実は、風が強かったせいで、予定よりかなり高度が上がってしまっていたらしい。そのせいで後から飛び立った1組よりも着地が遅れたわけだ。「ムツゴロウ」さんはマイッタマイッタと言っていたが、おかげで空の旅を長く楽しむことができたので、俺的にはOK(北海道らしさを加味して言うならばOK牧場)。

 靴は、ちゃんと持ってきてもらえました。離陸直後、ギャラリーの間では「あんなのは初めてだ」と笑いが起こっていたらしい・・・。が、「フランケン」さんは「15人に1人ぐらいは靴が脱げる人もいますよ」と微妙なフォローをしてくれた。

 しかし、考え直してみればこの事故は、「ムツゴロウ」さんが離陸の時、何の前触れもなくいきなり出発したのが一因ではないか!! あのとき「心の準備はいいですか」とでも聞いていてくれれば、私はきっと靴ひもがゆるんでいたことに気づいたはずである。そう、きっと・・・。

 まあそんなところで、大阪の笑いをしっかりと北国の人たちに見せつけながら、パラグライダー初体験は無事終了したのであった。

写真4 大阪人の魂です。

 

 

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