1998年のアルバイト日記

 

98年2月
PC家庭教師atO林家(大阪府堺市)
 時給1800円+交通費

 なんとワープロの家庭教師である。しかも、生徒は齢55歳の女性である。
 だんなさん経営の運送業の業務上、請求書などの書類を作成する必要に迫られ、ワープロを習いたいらしい。今までにキーボードを触った経験はないということである。
 先方の使用する機種は富○通のOA○YSだという。しかし、俺が今までに使ったことがあるワープロは、シャー○の書院(WD-Y300)と、その一つ前のマシンであるサ○ヨーのディスプレイが2行しかないという「電卓かお前は」というような、まあとにかくOA○YSなど触ったことすらなかった。
 そのため、俺は日本橋の電器店の、展示品のOA○YSで予習をすることにした。
 最初に入った店でOA○YSを見つけていじくっていたら、若いまじめそうな店員が来て勝手に機能などを説明しだした。私は店員を適当にあしらいながらOA○YSの操作を試行錯誤で学習した。そんなふうにして20分が経過し、そろそろ潮時かと感じて「ちよっと他の店も見てきます」と言ったら、その店員は一瞬泣きそうな顔を見せた後「どうぞ」と言った。ちょっと罪悪感にかられたが、「なんでこんなことで罪悪感を感じなあかんねん!!」と逆ギレしつつその店を後にしたのだった。
 その後2,3軒ハシゴしたが、そこでは店員の相手をする必要もなく、合計1時間ほどOA○YSに触れることが出来た。
 そしていよいよ初めての指導の日である。1回目の指導は「プレ指導」と言い、これは体験版のようなもので、これで先方に気に入っていただければ10時間の本コースをとっていただくという仕組みである。
 先方の事務所はマンションの一室であった。ギャラリーの従業員さんに囲まれての指導。初めはかなり緊張したが、おばちゃんは飲み込みが早く、あっという間にひらがなカタカナ英字、シフトキーを使っての「ぁぃぅぇぉゃゅょっ!”#$%&」などの入力、一字削除、挿入までマスターした。とにかく学習意欲が旺盛で、「じゃあちょっと復習してみるわ」などとひとりでにやってくれたので非常に楽であった。そんなこんなで、見事本コースの契約をとることができた。
 本コースの指導期間中も、おばちゃんは予習復習を欠かさず積極的に取り組んでくれた。そして全5回10時間の指導で、本コース開始時に俺が作成した指導カリキュラムの内容+αを見事にほぼ完全履修したのである。
 さらに最終日にはお小遣いをくれた。別にここに書く事じゃないけど。

 

98年4月
イベントの広報・案内atイベント開催地
 時給1000〜1100円+交通費

 面接に行ってみたら、部屋に「警備員の心得」などの貼り紙がいっぱいあって怪しいと思っていたら、
 「主な仕事の内容はですね・・・ただ立ってるだけなんですが、まあお客さんに(道を)聞かれた時は案内する・・・と。
要は警備員なんですけど」
 ていうか、なぜ最初から警備員として募集しないのだ!! なにか法的に問題があるのか。以前にもanで見つけた「イベントの広報・案内」が面接に行ってみると警備員だったということがあった。
 そして、今回の募集にはさらにもう一つトラップがあった。大学の掲示板には書いてなかった、1日の研修があると言われた。もうむかついてそんなヒマは無いと言うと、
中止手当として1000円くれた
 結局、面接地のある中百舌鳥まで往復で40分チャリこいで
1000円
 ・・・・・。許す。

 

98年5月
イベントの雑用at大阪府立臨海スポーツセンター
 日給8000円+交通費

 イベントとはサ○ヨーの特選品展であった。何をやらされるのかと期待していたら「駐車場で交通整理」と言われ、警備員と同じやーんとがっかりしたが、終わってみると今までのバイトの中で一番ラクだった。むしろラクすぎてしんどかったぐらいである
 2つある駐車場への別れ道に立って、イベント関係者の車は小さい方の駐車場に誘導し、一般客の車は2つに適当に分散させる(ただし片方がいっぱいになった場合はもう片方にのみ誘導)というのが主な仕事だが、関係者の人はもう分かっているらしく勝手に小さい方に行くし、さらにその日はお客さんが少なかったので駐車場がいっぱいになることもなかった。こうなると俺たちの仕事は何もないというわけである。
 その上、雇い主であるサ○ヨーの社員がすごくいい加減で、客に向かって
煙草を吸いながら「いらっしゃいませ」だし、勤務中にジュース飲んでるし。俺たちにも「今日は暇やろー。(君らは)運いいでー。ジュース飲みながら座りながらやってくれてもいいよー」とか言いだす始末。もうサボタージュ解禁である。胸を張ってサボタージュ大行進。後半はずっと木陰に座ってもう一人のバイト仲間としゃべってた。

 

98年6月
家庭教師(高2)atK戸家(大阪府堺市)
 時給2375円+交通費

 今回は高2の女の子である。
 高1の3学期の間、病気で学校に行けなかったため、その分勉強が遅れているらしい。
 文系で、生物と古文が苦手らしいが、教えるのは英語と数学。
 授業2回目にして俺のことを「アホ」呼ばわりするなど、なかなか態度のよいお子さんである。
 しかし数Bの内容などすっかり忘れてしまっている・・・・・剰余の定理? そんなんもあったなあ・・・あーやばい。要再履修。

VisualBasicを用いたプログラミングat自宅
 依頼料は内容によって異なる

 情報工学科に入学して1年2ヶ月。
 ついに念願のプログラミングバイトを手に入れた!!
 自宅でプログラムを組んで、電子メールで送信。
 実際に出勤するのは打ち合わせの時だけである。
 納期さえ守れば拘束されることはほとんどなく、自分の都合で働くことが出来る。寝ころんでせんべいを食べつつワイドショーを見つつキーを叩いても誰も文句は言わないのだ。
 しかも報酬の方も申し分ない、というか申し訳ないぐらい頂いている。
 これぞ21世紀の最先端バイト!!
 ちなみにどんなプログラムを組んでいるのかというと、秘匿義務があるので詳しくは書けないが、病院間の遠隔治療を支援するソフトウェアの作成、とだけ言っておこう。作成と言っても一部分だけやけど。

特許製品「シャンパンピラミッド」の設営・撤収作業at各ホテルの結婚式場
 時給1000円+食事代(1回)+交通費

 「シャンパンピラミッド」の設営? まさか飛び込みのアルバイト野郎にシャンパングラスでピラミッドを立てろとは言わへんやろう・・・。
 しかし、そのまさかであった。
 ただ、グラスの底面に4つの溝があって、これによりピラミッドが組み立てやすくなっている。グラスを組んでいく時に下のグラスの淵をその溝に合わせるようにするのである。これがどうも特許ということらしい。
 ところがこのグラス、社長曰く「クリスタルガラス製(なんやねん)」らしく、1個5800円もするらしい。その上、非常に壊れやすいと言う。
 1つのピラミッドに使われるグラスの数は200〜400個である。もしも、それをガラガラガッシャーンパリンパリンドキャドキャーンってことになってしまったら・・・・・! 国外逃亡後シベリアで凍死、なんてことになりかねない。まあ「割っても弁償はさせない」って言ってたけど、かつてそんなに大量に割った例はないらしく、どっちにしろ大変な事になるのは変わりない。
 雇い主「株式会社ぺぺ」は、ホテルの結婚式でのシャンパンピラミッドを専門に請け負っている会社である。
 まずぺぺの事務所で道具一式を車に積み込み、ホテルへ移動。到着後、裏口から道具を搬入する。前の式が終わるのを待って、いよいよ設営開始。
 まず組立式になっているテーブルを作る。テーブルの上面には10x10個の穴があいており(10段用の場合)、1段目のグラスの底面をその穴にはめ込むようになっている。照明を周辺にセットし、テーブルの側面を覆うようにカーテンをしいた後、いよいよグラスを積んでいく。
 慎重にグラスを置く。ケースからグラスを拾うときはグラスに目をやりながら。グラスを両手に持つ場合は両手をある程度離して。常に奥から手前に向かう順番で置いていく。
 ピラミッドは徐々に高くなっていく。たまに肘が当たってピラミッドがぐらぐらと揺れるたびに俺の寿命は1年ぐらい縮むのである。ことさら下から8段目・9段目となるとその緊張はもうジャンプ台の原田である(それほど応援されてないが)。周囲の注目を集めながら、10段目に最後の一個を置いて完成。
 四方からの照明を浴びたピラミッドは光を七色に屈折させながら輝き、とてもとてもきれいだった。俺には特にガラスの繊細さがこの美しさを作り出しているように思えた。
 というわけでこのバイト、非常に神経を使うのだが、拘束時間の10時間中、実際に働いているのは3〜4時間ほどで、他は車での移動時間だったり、会場が空くまでの待ち時間だったりするのでその点では非常においしい。もちろん、拘束時間分はきっちり時給をくれた(休憩時間や食事時間も)。
 あとホテルの裏側が覗けるのも勉強になる。ホテル会場の準備はめっちゃ体育会系です。

 

98年9月
什器運搬at阿倍野近鉄百貨店
 日給7500円(実労6時間)

 「やか」という字は全然爽やかそうではないというのを本で読んだことがあるが、漢字は時に形と意味内容が一致せず我々を苦しめる。
 
「什器」。最初にこのバイトの掲示を見たとき、私はこの言葉の意味を知らなかった。そこでイメージしてみた。イマジネーションしてみた。「什」のスカスカ具合が軽やかなイメージを醸し出している。あるいは「什」は「計」の略字のようにも見える。この時点で私の頭の中では計器の入った軽い軽いダンボール箱をフンフンフンと軽快に持ち運んでいる健全な青少年の図が描き出された(冷静に考えれば、計器も決して軽くはないはずだが、それも漢字形の魔力なのである)。そして早速このバイトに申し込んだ。
 ところが家に帰って辞書で調べてみると、「什器(じゅうき)...よく使う家具のこと」とあった。よく使う家具? わけわからん。少なくとも「計」の略字でないことは分かった。
 そして当日、俺が実際に運んだ「什器」とは、百貨店の売場の仕切り板(フロアを仕切ってイベント場とかを作るヤツ)やワゴンセールのワゴン(組立式になっている)、服をかけるハンガー(移動式)などだった。うーん、こういうのを什器と呼ぶのか。
 幸いにして今回は大部分が台車での運搬だった。狭い通路をぶつけないように台車でごろごろと進んでいくのは適度なドライブテクが要求され結構楽しかったりする。さらに、実労6時間のうち2時間ぐらいがエレベータ待ちや待機時間で占めていたため、結果としてそれほどしんどいバイトではなかった。

 

98年10月
ポスティングat城東区のマンション
 日給3000円+交通費

 ポスティングと聞いて一瞬ポスター貼りを思い浮かべてしまうのは、やはり97年9月のジオスのポスター貼り(二度としたくない)の後遺症であろう。
 ポスティングとは家のポストにチラシを入れていく仕事である。
 今回配ったのは「公民館で勉強教えます」というチラシで、場所は大阪城公園駅から10分ほど、上の階では廊下から読売テレビのビルが見えるような所の数棟のマンションである。
 マンションだと大抵は一階にポストがまとめて存在するのだが、今回は「オートロックのマンション以外は上まで上がって玄関のドアのポストに直接入れて下さい」と言われた。
 本町の事務所で「3時間ぐらいで配って」と1500枚のチラシを受け取り、今回のバイトを誘ってくれた友人と目的地まで一緒に行き、終了後に待ち合わせる約束をした後、さっそく配り始める。
 最初のマンションで私がエレベータを待っている間、ふと壁を見ると「広告・チラシの無断配布を禁ず」という掲示に気づいた。やや良心が痛むがこれも仕事だ、と見なかったことにしてエレベータに乗り込むと「防犯カメラ設置」の文字が。ちょっとびびりながら配り始める。
 そして1時間後。だいぶ要領は分かってきたのだが、まだ300枚しか配り終えていない。このままのペースだと終わるのにあと4時間はかかってしまう。足も疲労してきた。まあ時間までぼちぼちやろう、と、私はコツコツ配り続けた。
 ところがさらに1時間後、友人から「1500枚全部終わった!!」との電話がかかってきた。まさか、そんなはずはない!! 私はショックだった。 元郵便配達員であるこの私がこんな梅ごときに敗れるとは・・・。
 とりあえず我々は待ち合わせ場所を決めて再会した。聞けば、なんと彼は途中から全て1階の集合ポストに入れていたのである!! 許されへん!!
 その後どうしたかというと、友人と一緒にあと1つマンションに行き、1階のポストに入れて(100枚が3分ぐらいで終わった)、残り600枚ほどを持って帰ったのである。時給は普通にくれた。
 でも考えてみたら余らせて持って帰るよりとりあえず配ってしまった方が良心的で賢い。

個人(身体障害者)の外出補助at外出先
 時給1400円

 何でこんなバイトを? とよく聞かれる。まあ時給が良かったというのももちろんだが、社会勉強という意味と、私は一人っ子なのでいずれ両親の面倒をみなければならないからというのもある。
 私の介護するOさんは37才の男性の方で、口と腕が不自由なようでしゃべるのと手を使うこと全般ができない。3才の時の原因不明の高熱が原因だという。会話は足指で50音表を指して話す。
 初めの頃はかなりとまどった。もっともショックを受けたのが食事だった。介護者が口まで食べ物を運んであげるのだが、彼はかみ砕くことと呑み込むこと以上は意志がきかないらしく、だらだらと唾液と噛んだ物をこぼしながら(テイッシュでふいてあげる)、しかも何故か私の目をじっと見据えながら食べるのである。私は精神的にへとへとになった。
 さらに彼は私に大阪人らしいコミュニケーションを求めてきた。大阪人らしいとはこの場合よく冗談を飛ばす、というような意味である。当初黙々と仕事をする私に「君は本当に大阪人なの」と聞いてきた。接客、営業などトーク力を必要とする業種は私の最も苦手とするものであるが、このバイトにもその要素が含まれていることを知り、「何でこんなバイトを初めてしまったのだろう」と後悔した。
 しかし時が経つにつれ、彼の気さくな性格も手伝って、我々は自然なコミュニケーションがとれるようになっていった。私の言った冗談がうけると、彼は顔をくしゃくしゃに真っ赤にして、声のでないはずの喉から「ヌハハ」と声をだし、さらに足下の車椅子の鈴を「ちーん、ちーん」と鳴らして笑ってくれる。あと彼は女好きらしく、視界に女性もしくは女性の写真が入っただけで同じく顔を赤くして笑う。そういうときの彼はかわいい。

 

98年12月
病院の受付の当直(夜勤)atY田病院
 日給12000円・実労12時間+夕朝の食事

 この病院の怪しい点

1.冬なのにが異常に多い
2.入院患者さんの病室に
暖房がない(入院患者さんから聞いた話)
3.受付の中の壁に貼ってある「患者さんに頼まれた
コピーは1回50円頂いて下さい」という張り紙
4.「当直看護の○○さんは当院では
働いていないことになっていますので電話には『そんな人は働いていない』と答えて下さい」というメモ
5.アルバイトの受付に薬を出させる(処方箋を見て、紙袋に詰めていく)
6.さらに水薬を作らせ(調合させ)ようとする(私は結局できなかったが)
7.院長先生の雰囲気は某裁判で有名になった「
横○弁護士

 さらに次点として、当直日誌(施錠時間や見回り時間、急患の状況などを記録する)に「ポケットベル吸び出し」という謎の欄がある。ただのミスプリなのだが、この「吸び出し」という言葉はこの病院が内に秘めている言いしれぬヤバさを如実に表している。
 主な仕事内容は、午後8時に出勤し、まずは受付で診療時間終了後のカルテ整理などを手伝う。看護婦さんが帰った後、9時と11時に病院全体の見回りをした後、玄関に鍵をかければ、あとはもう寝てしまっても良い。あとは午前7時に起きて鍵を開けて8時30分の退出時間まで待ってからタイムカードを押して帰宅。楽である。
 ただし急患の電話がくれば起きて対応しなければならない。夜中に急患が来るのは当直日誌を見たところだいたい2.5日に1回ぐらいのようだ。

 

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