2000年のアルバイト日記

 

00年1月
チラシ配りatK中学校
 時給1000円+交通費
 

 阪急某駅の改札前。集合時刻の午前9時を15分ほど過ぎ、我々が集合場所を間違っているのではと不安になり始めた頃に、オバチャンは現れた。ビラがいっぱいに入った紙袋を両手に持ち、小走りでこちらに駆け寄ってくる。 
 「ゴメーン、道路が渋滞しててバスが遅れてもうて・・・」 いかにもオバチャン風のトークを展開するオバチャン丸出しのそのオバチャンは年の頃40代後半〜50代ぐらいのオバチャンであった。
 今回のアルバイトは大学の掲示板で発見。合格発表が行われている中学校の前で学習塾・T学院のチラシを配るという仕事である。時間はAM9時からPM5時まで、メンバーは私と、もう一人のアルバイトNさん、そして塾の事務員であるこのオバチャンの3人。
 ところがこのオバチャンが、とんだ食わせモノだったのである。
 駅から現場の中学校まではタクシーで移動すると言う。そりゃ楽でいいわ、と思いながらタクシー乗り場に向かっている途中、私はある事に気づいた。なんとオバチャンが手にしていたはずの紙袋のうち一つがいつの間にか私の手によって握られていたのである!! そしてもう一つの紙袋もNさんが握っていた。「お願い」の一言さえ言われた記憶はなく、持ったことを全く意識させない神業である。
 中学に到着したのは9時30分過ぎ。まだ人影もまばらである。私とNさんが道を挟むように立ち、オバチャンは少し離れたところにポジションをとった。 
 配り始めてから30分ほど経ち、ようやく人がぼちぼち来るようになったかなというぐらいの時。バイクに乗って一人の青年が現れ、適当な場所にバイクを停めると、オバチャンに近い場所でビラを配り始めた。ライバル塾の出現である。まあ競争相手がいた方が張り合いがあるというものだ。
 満面の笑顔で校門から走り出てくる子供。遠くにいる家族に向かって両手で「マル」を作って合格を知らせる父親。そんな合格発表らしい風景をちょくちょく見る事が出来た。自分も大学に合格した時は家の中で叫んだり踊ったり(暗い?)してたなあ・・・、などと思いつつ。ライバルのニイチャンはいつのまにか二人に増え、我々は負けじと通行人に一生懸命に声を掛けながらビラを配った。
 やがて時間が過ぎ11時頃にもなると、再び人影はまばらになり、我々はただ立っているだけになった。ああだるいなあ座ろうかななどとそんな甘えた考えがふと頭をよぎる。いやイカンイカンと思い直し、ふとオバチャンの方を見ると、オバチャンはなんとライバル塾のニイチャンと楽しそうにトークしているではないか!! なんやねんそれは!!
 12時になるとオバチャンから集合がかかった。そしてその口から信じられない言葉が発せられたのである!! 「じゃあ今日はこれで終わりにしよか。」 え? 「あとは駅の近くで適当に時間潰して、4時半に塾に着くように帰って。」 

 おいおい・・・。確かにこれ以上ここに居座っても人はほとんど来ないだろうが、それで8時間働いたことにしていいのか・・・。我々のそんな戸惑いをまったく気にすることなく、オバチャンは去っていった。
 それからどうしたかと言うと、駅に戻ってNさんとふたりで昼食をとり、駅の近くのサティに入ってソファーでしばらく寝て、言われたとおり4時半に塾に帰りました。8時間分の時給もきっちり頂きました。
 中学生の保護者のみなさん、T学院に子供を通わすのは止めといた方がいいと思います。皆さんの貴重な月謝はこんな風に使われています。

 

 

00年4月
Webページ制作とサーバ管理のお手伝いatE社
 時給1000円+交通費
 

 4年間続けてきたこのアルバイト日記も、ついに今回で最終回となる。そしてこのアルバイトはまさに大トリを飾るのに相応しい、素晴らしいアルバイトであった。このバイトを語らずして私の大学4回生は語れない
 私が就職活動で最初に内定を頂いた、とある中小企業の人事さんが「そりゃあ、私の所よりかは大手さんに行ったほうがいいかも知れんけど、小さい所でも景気のいい会社はいくらでもあるよ」と言っていた。このバイト先はまさにそんな会社の一つだろう(正確には「だったろう」なのだが・・・)。
 私が最初にその恩恵に預かったのは、このバイトを始めてからまだ2週間も経たない4月下旬の頃だった。Webページ上でのプレゼント用に確保していた沖縄出身某有名歌手の大阪城ホールでのコンサートチケットを、余ってたんだか何なんだか知らないが、「これあげる」的に貰ってしまったのだ。ペアチケットで、席はなんと一番前列だった(アリーナ席を貰ってる人もいた)。入って間もないバイトにこんなものをくれるなんて、いいバイトだなあー・・・。
 その後もたびたび、色々なお店や施設やイベントなどのチケットを頂くことになるのだが、まあそれはいいだろう。私がその真のバブリーっぷりを痛感させられたのは、6月下旬の社員旅行での事だった。まず、社員旅行にアルバイトを連れて行くこと自体が太っ腹! と言えよう。そしてその行き先も伊勢や黒部ダムじゃあない(ってこれは俺の小・中の修学旅行)、2泊3日の沖縄である。スキューバダイビングあり、観光あり、沖縄音楽の舞台あり、焼肉ありと内容も盛りだくさんだった。

 ではここからはちょっと趣向を変えて、その旅行の様子を「沖縄旅行記」としてお送りしてみたいと思います。かなり自慢話チックなのでそのへん覚悟して読むように!!

 

- ア ル バ イ ト 日 記 外 伝 -
沖縄旅行記

 

*** 1日目 ***

 1日目の朝、関空に集合。実は飛行機に乗るのは初めてだったのでそれ自体も楽しみだったりする。搭乗手続きを済ませ乗り込む。飛行機は最初ゆっくり動いてたが、一旦止まった後ものすごい勢いで走り出して、その勢いのままゆっくりと離陸していく。乗ってる方から見たら、飛行機って勢いだけで飛んでるみたいやなあ・・・新幹線も頑張ったら飛べるんちゃうか・・・。それから3時間ちょっとほどで沖縄に到着。飛行機から降り立つと、梅雨真っ最中の大阪と違って沖縄はもうカラッカラの夏真っ盛りだった。まさに熱線と言うべき痛いほどの日差しが襲ってきて、外に出れば3分もしないうちに汗が滲み出てくる。
 空港から北谷町のホテルまでは貸切バスで移動。途中、沖縄料理のレストランに入ってお昼を食べる。ニンニクがたっぷり乗ったマヒマヒという魚のフライ(マヒマヒ自体は淡白なお味でした)やトムヤンクン(辛いやら苦いやら色んな味がした)を頂く。その後ホテルに到着し、チェックイン。その後、車で30分ほどかけて海岸に移動し、いよいよお楽しみのその1!! 体験スキューバダイビングである。もちろんダイビングは初めての経験。
 まずはウェットスーツに着替えるが、これが結構な苦労で、炎天下で15分ほど格闘していたのでこれだけで汗びしょになってしまった・・・。まあなんとか着替え終わって、インストラクターの方から器具の扱い方や耳抜き(深く潜るときに鼓膜がツーンとなるのを戻すこと)の方法、水中でのサインについて簡単な説明を受ける。その後、ちょっとしたがけを下って海辺に移動。まず浅いところまで入ってからボンベを装着し、いよいよ初ダイビングにチャレンジ!! ・・・なのだが、今回はお姉さんに背中のボンベをぐいっと掴まれた状態で決められたコースを回されただけだったので、お魚になったと言うよりも散歩に連れられた犬に近かった・・・。海岸なので深さがあまりなく(一番深いところで6mほど)、でこぼこが多くて見晴らしもそれほど良くない。しかしそれでも「すーーーっ、ごふぉふぉふぉふぉふぉ」という音を発しながら(聞きながら)水中で息をしているだけで「ああ、ダイビングしてるんだなー」と妙に納得したし、水中にずっと居続けられる不思議な感覚を楽しむことができた(お姉さんが、水中を漂う感覚が母体にいた頃の安らぎを思い出させるのがダイビングの魅力の一つなのかも、みたいなことを言ってたけどその通りだと思う)。そして夜は宴会。2次会ではお店を借り切って、なんだかよく分からない沖縄音楽のショーを見せて頂いた。沖縄音楽にはなんだか独特な情緒があって良い。

*** 2日目 ***

 2日目はホテルで朝ごはんを食べた後、ホテルそばの港から小型船に乗り込み本島を脱出。水しぶきを浴びながら揺れに揺られること約1時間(船に弱い数名が修羅場を迎えていた)、着いたのは渡嘉敷島という島である。この島は本島の西側に位置する(元ボクサーのトカちゃんはもちろんここで生まれた。もちろんウソ)。本島と違い海の真ん中にあるこの島の周辺の海は、あまりにも鮮やかなエメラルドブルーで、むしろ実は着色料なんじゃないかと思うぐらいだった(心が歪んどる・・・)。島から少し離れたところに船を停泊させて、そこで色々な遊びを満喫した。定番のシュノーケリングや水上バイクを使ったバナナボートやビスケット(大きい浮き輪に乗ってバイクで引っ張られ、振り落とされないよう踏ん張る)など、私には全てが初体験で新鮮だった。ビスケットは見ている分には面白そうだったが、いざやってみると踏ん張るのにかなり力がいる上に上下動が物凄い衝撃で、「止めてくれ」と言おうにも喋ると舌を噛みちぎりそうだったので、ただただ耐え続けるしかなく、かなりのバツゲームテイストだった。
 そしてそれらの遊びもそこそこに、再び体験ダイビングをすることになった。今回はなんと、船のヘリに座って背中から一気にダイブするという。それって結構高等テクなのでは? と思ったが、何も考えずに自然に落ちるだけで良いらしい。またも苦労しながらウェットスーツを着用し(これだけで結構体力を消耗する・・・)準備完了。言われたとおり、ヘリに座り、背負ったボンベの重さに引っ張られるがまま海に落ちる。一瞬頭の中が暗転するが、しゅーーーっ、こーーーーという音と共に徐々に景色が現れ始めると、そこには昨日の海岸とはまるで違う世界が広がっていた。
 どこまでも広がる青緑の空間。まるでカメの甲羅かタコの吸盤みたいな不思議な模様を描く岩々。黄や緑の色とりどりの魚。すごいすごい!これでこそダイビング!! ・・・と頭の中で思った(しゃべることもリアクションも出来ないので)。そして今回は潜ってからしばらくすると自分の意志で動くことを許された。手をすいすいっと動かすと、なんとか行きたい方には行ける。上を見あげると、自分が作り出した泡がキラキラ輝きながら登っていく・・・。そんなことにもいちいち感動しながら、存分にお魚気分を満喫することができた。でも重いボンベを背負っているために思っていた以上に体の制御が難しく、一度ひっくり返ってしまうと自力で元に戻るのはかなり難しい。このあたりは亀気分と言えよう。貴重な15分間はあっという間に過ぎ去った。ちなみに今回の深さは12mほどでした。日が沈む頃に本島に戻ってきて、夕食は焼き肉でこれまた無意味に上ロース、上カルビ・・・。

*** 3日目 ***

 3日目はまったりと沖縄観光。玉泉洞で王国村と鍾乳洞とハブ王国を見学し、はびちん的には参考になりました。ちなみにハブとマングースの決闘は1年ぐらい前に終わってしまったそうで、代わりにハブとマングースの水泳競争になっていました。大阪に帰ってくると大阪はやはり梅雨真っ最中でなんだかレイニーブルーでした。

(旅行記おわり)

 

 ・・・以上、スネ夫のような勢いで語ってみたが、なんとこれらの費用がすべて会社持ちだったのである(繰り返すが、私はアルバイトである)。自分で払ったお金と言えば土産代と帰りの伊丹空港から自宅への交通費ぐらいである。船を借り切って渡嘉敷島でダイビングなんて、今度はいつ出来るんだろうか・・・。

 (ごめんなさいもうちょっとひっぱります続く)

 

 

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